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生真面目な人のお話 [アンティーク]

イギリスのヴィクトリア女王が即位したのは今から175年前の1837年、まだ18歳の若さでした。それから1901年、81歳で崩御されるまで実に63年と7カ月もの長きに渡り大英帝国に君臨したのです。先代の王は叔父であるウィリアム四世。即位した時は既に65歳だったのでヴィクトリア女王とは逆にその治世も7年間と短いものでした。海軍勤めが長く堅苦しいことが嫌いで軍人気質なウィリアム四世を別にすれば先々代の王ジョージ四世を筆頭にヴィクトリア女王の父方の叔父・叔母達はそろいもそろってみだらふしだら、不行跡の限りをつくした放蕩を絵にかいたような不真面目な人たちばかり。ジョージ四世に至っては戴冠式へと向かう沿道で市民から歓声どころか罵声を浴びせられ、亡くなった時もタイムズ紙(1785年創刊。現代に続く世界最古の新聞です)に「この亡き王ほど、その死を惜しまれない者もいないだろう。彼の死に涙した目があっただろうか。利害関係抜きに、悲しみに胸を痛めたものがあっただろうか。(以下辛辣な言葉が続きます)」とまで書かれる始末。スキャンダルばかりが原因ではありませんがヴィクトリア女王が即位するまで王室の人気はほとんど地に落ちていたのです。

ヴィクトリア女王の母君は将来王位を継ぐ可能性のある自分の娘が不行跡な親戚から悪い影響を受けることを怖れていました。夫亡き後義兄たちから嫌われていたこともありますが宮廷にはほとんど出向こうとせず、幼いヴィクトリア女王が高い道徳心を持つ貞淑で真面目な女性になるよう腐心したのです。

ちなみにですがヴィクトリア女王の父君であるケント公も兄弟たちに負けず劣らずの放蕩者でした。女性にもお金にもだらしがなく莫大な借金を重ね、ロイヤルファミリーの一員であるのにロンドンは物価が高くて(これは現代も変わりませんね)生活が苦しいからとヨーロッパを転々として暮らしているような人でした。妻が妊娠した時もドイツに滞在していましたが、自分の子どもを「イギリス生まれ」にするために(王位継承で優位になるよう)故国に帰ってくるような人だったのです。ケント公はヴィクトリア女王が一歳になる前に亡くなってしまいますがもしこの父君が大人になるまで長生きしていたとしたら・・・ヴィクトリア女王の性格も大分違ったものになっていたかもしれませんし、その後弟が生まれていれば一姫君としてどこかの国へ嫁いでいたかもしれません。そうなればジュエリー史はもちろん、世界の歴史そのものが全く変わったものになったことでしょう。運命とは不思議なものです。

「王制を廃し共和制国家に」そんな声さえ公然と叫ばれる中、国民は若く清廉な女王に期待を込めました。国民の期待に無理をして応えようとすれば苦痛になりますが、無理など全く必要ありませんでした。ヴィクトリア女王は生涯を通してとても生真面目な性格だったのです。イギリス歴代の君主の中でもおそらく一番に。後に結婚することになるアルバート公も同じく真面目で、二人は当時の人々が理想とした非常に仲睦まじい平和で幸福な家庭を実現させたのです。国民は大変喜び王室人気も復活することになりました。

国民は喜んだのですが困ったのは貴族や政治家たち。ユーモアもちゃんとあったのでガチガチの堅物というわけではありませんでしたがそこは生真面目な人。煙草が大嫌いでいたるところ禁煙にされ、のんびり一服などとても許されません。お酒にも厳しく宮廷主催の晩さん会では臣下の者たちがだらだらといつまでも飲んでるのを嫌い、またお酒が入る入らずとに関わらずエッチなお話は一切御法度でした。

名実ともに理想的夫婦で、夫婦ともに愛人などというものには無縁なため男女間のスキャンダルについては特に厳しく、脛に傷持つ身の多い当時の上流階級の男性は大慌て。かつてのように愛人連れで宮廷に出入りするような真似はもはやできず、愛人は使用人ということにして体裁を取り繕わなければなりませんでした。政治家にとっては政治生命を断たれる危機にもなりかねません。たとえばパーマストン子爵は独断専行の振舞いと失言によって外務大臣の地位を追われるのですがこれにはヴィクトリア女王の強い意向もあったのです。非常に有能ですが非常に女ったらしでもあったパーマストン子爵はこともあろうに御付きの女官と逢引をするために女官の部屋に忍び込んだことがありました。もちろんばれて大目玉を食らいましたがそれ以来女王にすっかり嫌われてしまったのです。

また同じ女性として同性には寛容であったかというとそうではなく、同性に対しても厳しい人でした。離婚はそれ自体が許されざるスキャンダルとされ、離婚した女性は宮廷に呼ばれることはもちろんお目通りすらも認められませんでした。不倫ももちろん御法度で、事実かどうかは関係ありません。火の無い所に煙は立たないとの考えだったのか「噂」が立っただけでもうダメでした。事実と異なる噂でお目通りがかなわなくなったばかりか仲間と思われるのが嫌なのかサロンに人が誰も来なくなった貴婦人もいたほどです。

生真面目な人はセンチメンタルを感じることのできる人です。不真面目でふしだらな人は外に享楽を求めても、内にセンチメンタルな気持ちを求めないからです。次回は「センチメンタルジュエリー」についてお話させていただきますのでどうかお楽しみに!

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