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アートフラワー [monologue]

飯田深雪さんのアートフラワーが生まれたのは、戦後の焼け跡の中でした。ほんの四~五年前に親の遺産で建てたばかりの家が、跡形もなく焼けてしまったのです。飯田さんは茫然とするばかりでした。

「一生住もうと思っていた家が焼けて、なーんにもなくなりました。しかもものすごいインフレで、ちょっと前までピアノを一台変えたお金が、今日はサバ一本しか買えないような状態。もう、なにも希望がなくなりましたね」

家を失い、お金は紙切れ同然。深い喪失感の中で、一筋の光となったものは、

「焼け残ったトランクから、赤いナイトガウンが出てきました。もう着ることもないと思って、それを切って、真っ赤なケシの花を作って飾りました。すると、花で心が奮い立ったんです」

自分をなぐさめるつもりで作った花が、生きる勇気を呼び起こしてくれました。誰もが美しさに飢えていた時代。やがて飯田さんの教室は、あふれんばかりの人でわき返ります・・・(後略)


僕は“紙物”が好きでチラシやパンフレット、旅先の観光案内や冊子、カタログなどをついつい貯め込んでしまいます。部屋に収まりきらなくなるのでやむなく手放したものもあるのですが、「生きている限り残しておきたい」と思うものもまだまだたくさんあります。他の人には全く価値のないものでも、自分にとっては手にした時の思いでと共にある大切な価値のあるものです。

アートフラワーの創始者である飯田深雪さんのお話。書かれてあったのは待ち時間の間に何気なく手に取った郵便局の冊子。もう十年も前の記事ですが飯田さんはこの時御年98歳!103歳の時にお亡くなりになられるのですが102歳まで現役でアートフラワーと料理教室の講師されていたのです。「なにも希望がなくなった焼け跡の中。花で心が奮い立ったんです」このタイトルと共にとても印象深かったのが飯田さんのポートレート。とにかくお洒落で枯れてなんか全くいないんです。

今でも時々箱から取り出して読み返している薄くて小さいけれど、大切な紙の宝物。ブログを読んでいただいている方にも知ってもらえたらうれしくて今回こちらに載せてみました。

中原淳一さんも言っていました。「もしこの世の中に、風にゆれる『花』がなかったら、人の心はもっともっと、荒んでいたかもしれない。」人の心には花が必要です。生花はもちろん、作品としても。これからも人が生きている限り花をモチーフとした作品は永遠に造り続けられることでしょう。

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