ひとつ [monologue]
自分と同じ存在はどこにもなくて
みんなばらばらで
それはもうどうすることもできないほど孤独で
不安や悩みを抱え誰しもが生きている
心を、世界を、全てをひとつにしてしまえば
そんなことに苛まれることもなくなる
形や表現は違っていても
ひとつになりたいと願っている
それができないって分かっているからこそ余計に
それを望んでしまう
分かるということ
分かり合えるということ
その答えをいつか必ず見つけたい
その時はきっと限りなく
“ひとつ”に近づいているんだと思う
・・・・・・・
おやすみなさい
みんなに幸せが降り注ぎますように
みんなばらばらで
それはもうどうすることもできないほど孤独で
不安や悩みを抱え誰しもが生きている
心を、世界を、全てをひとつにしてしまえば
そんなことに苛まれることもなくなる
形や表現は違っていても
ひとつになりたいと願っている
それができないって分かっているからこそ余計に
それを望んでしまう
分かるということ
分かり合えるということ
その答えをいつか必ず見つけたい
その時はきっと限りなく
“ひとつ”に近づいているんだと思う
・・・・・・・
おやすみなさい
みんなに幸せが降り注ぎますように
内面の美しさ [monologue]
「年齢を重ねるのを怖いと思った瞬間から、人は年をとりはじめる」
そんなふうに言った人がいます。私も同感です、
年齢をネガティヴにとらえるのは、
日々の生活を楽しもうという意欲が
ないに等しいということなのではないかと思います。
何かを恐れて生きるなんて、
これほどもったいないことはないでしょう。
私は、できるだけ笑いジワができるような毎日を過ごして、
年齢を重ねていきたいと思っています。
そうすれば、結果として無い面が充実し、
女性として人間として完成されていくのではないかと思うからです。
内面の美しさは外見の若さをはるかにしのぐもの。
そんな真の美しさを目指すために、
笑顔を積み重ねていける私でいたいと思っています。
僕の永遠の憧れの人、川原亜矢子さんの言葉です
女性はもちろんだと思いますが男性も勇気をもらえると思いご紹介させていただきました
年齢なんてただの数字!何の意味もありません
そのことを再認識させてくれます
シワはシワでも笑いジワなら大歓迎です!
そんなふうに言った人がいます。私も同感です、
年齢をネガティヴにとらえるのは、
日々の生活を楽しもうという意欲が
ないに等しいということなのではないかと思います。
何かを恐れて生きるなんて、
これほどもったいないことはないでしょう。
私は、できるだけ笑いジワができるような毎日を過ごして、
年齢を重ねていきたいと思っています。
そうすれば、結果として無い面が充実し、
女性として人間として完成されていくのではないかと思うからです。
内面の美しさは外見の若さをはるかにしのぐもの。
そんな真の美しさを目指すために、
笑顔を積み重ねていける私でいたいと思っています。
僕の永遠の憧れの人、川原亜矢子さんの言葉です
女性はもちろんだと思いますが男性も勇気をもらえると思いご紹介させていただきました
年齢なんてただの数字!何の意味もありません
そのことを再認識させてくれます
シワはシワでも笑いジワなら大歓迎です!
遊んであげているのか [猫さん動画]
遊ばされているのか
さて答えはどっちでしょう?
全ての人が一日に一度でも
この赤ちゃんのように笑うことができたなら
きっと世界はもっと平和で穏やかであることでしょう
笑うことはいいことです
笑うと幸せになれます
できるだけ多くの人が、できるだけ多くの時間
明日も心から笑うことができますように
さて答えはどっちでしょう?
全ての人が一日に一度でも
この赤ちゃんのように笑うことができたなら
きっと世界はもっと平和で穏やかであることでしょう
笑うことはいいことです
笑うと幸せになれます
できるだけ多くの人が、できるだけ多くの時間
明日も心から笑うことができますように
幸せかどうか [monologue]
決めるのはいつだって自分です
誰かが指標や基準を決めるものではないし数値にして出せるものでもありません
だから“国民総幸福量”(GNH)なんて、そもそも概念自体が間違っています
“最後の理想郷”なんて誰が言い出したのか分かりませんが、
誰かが決めた理想郷なんてそもそも理想郷ではないのです
幸せであるということ、幸せについて
一度も考えたことの無かった人はいないことでしょう
もちろん僕も考えます
例えばよく言われる言葉ですが“幸せは誰かが与えてくれるものではない”
本当にそうでしょうか?
何かを与えてもらうって幸せを感じない人などいないと思うのです
「もし神様が、何かひとつ願いをかなえてくれるとしたら・・・何をお願いしますか?」
そう訊かれてボビー・バレンタイン氏はこう答えました
「もし・・・どこかで私の力を必要としてる人がいたら・・・
その人たちの存在を私にわからせてもらいたいです。
わからないと、助けてあげられないじゃないですか。」
助けるということも与えるということと同じだと思います
僕も全く同じ思いです
大したものはもっていないかもしれませんが・・・
もっと与えあうことのできる人になりたいです
生誕100年記念 ロベール・ドアノー展 [monologue]
僕には心の師と仰ぐ写真家の方が二人おります
一人は秋山庄太郎先生
そしてもう一人はロベール・ドアノー先生
お二人に共通しているのはまなざしの優しさ
世界から優しさが消えようとしている今だからこそ、
お二人の写真を見ていると心が沁みてくるのが分かるんです
もう、二度と撮ることのできない、
「永遠の一瞬」が優しく写真に写されています
ロベール・ドアノー展 posted by (C)ホープ アンティークス 札幌
札幌でのロベール・ドアノー展は彫刻の森美術館にて7月7日まで
写真展の詳細はこちらをご覧ください→
まさか札幌で開催されるとは夢にも思わなかったので・・・
写真集ではないオリジナルプリントを見ることができて本当にうれしかったです
ロベール・ドアノー写真展 posted by (C)ホープ アンティークス 札幌
今のようにシャッターを押せば誰でも失敗無く写真を撮れる時代と違い、
写真を撮るというのは技術のいることでした
カメラも写すのに操作に手間のかかるものだったのに、
どうしてあんなに素敵な一瞬を撮ることができるのか・・・
フルオートであまりに簡単に撮れるから
撮った写真も軽くて簡単になってしまうのかな?
フルオートのデジタルでももっと写真と真剣に向き合いたい
あらためてそう思わせてくれるきっかけともなった今回の写真展
会期中にもう一回訪れる予定です
minolta srT101 posted by (C)ホープ アンティークス 札幌
ストラップを通して久し振りにフィルムで写真を撮ってみようかな?
一人は秋山庄太郎先生
そしてもう一人はロベール・ドアノー先生
お二人に共通しているのはまなざしの優しさ
世界から優しさが消えようとしている今だからこそ、
お二人の写真を見ていると心が沁みてくるのが分かるんです
もう、二度と撮ることのできない、
「永遠の一瞬」が優しく写真に写されています
ロベール・ドアノー展 posted by (C)ホープ アンティークス 札幌
札幌でのロベール・ドアノー展は彫刻の森美術館にて7月7日まで
写真展の詳細はこちらをご覧ください→
まさか札幌で開催されるとは夢にも思わなかったので・・・
写真集ではないオリジナルプリントを見ることができて本当にうれしかったです
ロベール・ドアノー写真展 posted by (C)ホープ アンティークス 札幌
今のようにシャッターを押せば誰でも失敗無く写真を撮れる時代と違い、
写真を撮るというのは技術のいることでした
カメラも写すのに操作に手間のかかるものだったのに、
どうしてあんなに素敵な一瞬を撮ることができるのか・・・
フルオートであまりに簡単に撮れるから
撮った写真も軽くて簡単になってしまうのかな?
フルオートのデジタルでももっと写真と真剣に向き合いたい
あらためてそう思わせてくれるきっかけともなった今回の写真展
会期中にもう一回訪れる予定です
minolta srT101 posted by (C)ホープ アンティークス 札幌
ストラップを通して久し振りにフィルムで写真を撮ってみようかな?
写真展に行ってきたお話は [猫さん動画]
都合により明日書かせていただきたいと思います
おやすみまえにかわいい猫さんの動画をご覧ください
きっと素敵な夢を見て眠ることができますよ
おやすみまえにかわいい猫さんの動画をご覧ください
きっと素敵な夢を見て眠ることができますよ
「フォト蔵」に参加してみました [monologue]
つい先ほどです
使い方はまだほとんどよく分かっていませんが・・・
ひとまずブログに写真を掲載する方法は分かりましたので載せてみたいと思います
今日の出来事などはまた後ほど・・・
硝子のネックレス posted by (C)ホープ アンティークス 札幌
使い方はまだほとんどよく分かっていませんが・・・
ひとまずブログに写真を掲載する方法は分かりましたので載せてみたいと思います
今日の出来事などはまた後ほど・・・
硝子のネックレス posted by (C)ホープ アンティークス 札幌
私は毎日、鏡を見るんです [monologue]
そして聞くんです
「君は今、人生を楽しんでいるかい?」
それで楽しんでないと思ったら、
何かを変えてみたらいいんです
服を変えたり、
その日一日を楽しむために使ったりね
(絶望に効く薬、第7巻 ボビー・バレンタイン氏の言葉より)
明日は月曜日
仕事だと憂欝な気持ちになった時
恐れずに鏡を見てください
もしも鏡に映った自分が、
人生を楽しんでないように見えたなら
ぜひ試してみてください
何かを変えてみるということを
一度で変わらなければ何度でも変えてみましょう
そのうち変えることそれ自体に楽しみを見出せるかもしれません
最近鏡を見ることを避けていた自分がいました
僕も明日鏡に映る自分に聞いてみようと思います
「君は今、人生を楽しんでいるかい?」」
「君は今、人生を楽しんでいるかい?」
それで楽しんでないと思ったら、
何かを変えてみたらいいんです
服を変えたり、
その日一日を楽しむために使ったりね
(絶望に効く薬、第7巻 ボビー・バレンタイン氏の言葉より)
明日は月曜日
仕事だと憂欝な気持ちになった時
恐れずに鏡を見てください
もしも鏡に映った自分が、
人生を楽しんでないように見えたなら
ぜひ試してみてください
何かを変えてみるということを
一度で変わらなければ何度でも変えてみましょう
そのうち変えることそれ自体に楽しみを見出せるかもしれません
最近鏡を見ることを避けていた自分がいました
僕も明日鏡に映る自分に聞いてみようと思います
「君は今、人生を楽しんでいるかい?」」
1:1 [アンティーク]
タイトルの1:1は縦と横の比率のことです
フィルム時代から写真を撮っていた僕にとって(その割に腕の方は?ですが・・・)、
基本となる縦横比はデジタルカメラを使うようになった今でも3:2
でも最近縦横比が同じ長さ(1:1)のスクエアフォーマットにとても興味津津で、
実際に本日ショップに載せたネックレスは最初と最後を除いて全部縦横比1:1で撮ってみました
これから先ずっとこの構成でいくかは分かりませんが、
しばらく試験的に1:1のスクエアな写真を掲載していこうと思っています
フィルムカメラしか無かった時代にスクエアな写真を撮るには、
一部の中判やクラシックカメラなど限られた選択肢しかなく、
マルチフォーマットを楽しむことができるデジタルカメラの恩恵にすっかりあずかっています
薄紫が綺麗なアンティークのアメジストネックレス
二月生まれなので綺麗なアメジストを見るとうれしくなっちゃいます
本日新たに掲載いたしましたのでどうぞご覧ください
フィルム時代から写真を撮っていた僕にとって(その割に腕の方は?ですが・・・)、
基本となる縦横比はデジタルカメラを使うようになった今でも3:2
でも最近縦横比が同じ長さ(1:1)のスクエアフォーマットにとても興味津津で、
実際に本日ショップに載せたネックレスは最初と最後を除いて全部縦横比1:1で撮ってみました
これから先ずっとこの構成でいくかは分かりませんが、
しばらく試験的に1:1のスクエアな写真を掲載していこうと思っています
フィルムカメラしか無かった時代にスクエアな写真を撮るには、
一部の中判やクラシックカメラなど限られた選択肢しかなく、
マルチフォーマットを楽しむことができるデジタルカメラの恩恵にすっかりあずかっています
薄紫が綺麗なアンティークのアメジストネックレス
二月生まれなので綺麗なアメジストを見るとうれしくなっちゃいます
本日新たに掲載いたしましたのでどうぞご覧ください
休日 [monologue]
シアターキノさんで映画「ビル・カニンガム&ニューヨーク」を観賞
前売りを買っていたのに時間が全然取れずようやく観に行くことができました
ニューヨーク・タイムズ紙でファッションと社交界、二つの人気コラムを担当するビル・カニンガム氏
半世紀に渡りニューヨークの街角でストリートのファッショントレンドを写し続け、
御年84歳の現在でも一人街に出て写真を撮り続けている生きる伝説の写真家です
映画作品としての面白さもさることながらそれ以上に氏のファッションへの情熱、
仕事に対する思いと取り組み方に感銘を受けずにはいられませんでした
どんな職種のどんな仕事をしている人であっても通じるものがきっとあるはず
特に僕が好きな彼の言葉は「私のしていることは仕事ではなく喜び」
そしてもう一つ「美を追い求める者は、必ずや美を見出す」です
先月の記事にも映画の公式サイトをリンクさせておりますが再度載せていただきます
(こちらからどうぞ→)
地域によっては来月も引き続き上映されておりますので気になる方はぜひどうぞ
写真はシアターキノの廊下で遭遇したビル・カニンガム氏
そして今日のメインイベント、マイショコラさんへ御挨拶に
お目当ては開店一周年の記念イベント「まちの中で生きてます」を観に
店主さんのブログを拝見してどうしても見てみたかったのがこちらのネックレス
白い椅子は什器ではなく椅子全体がネックレスになっています
写真でどれだけ伝わるか分かりませんが細かいところまで考えられて実によくできています
僕が特に感心したのは咲いている花の“周りの草花”の部分
つぼみはまるでこのまま待てば咲いてくれそうです
僕自身はとても不器用で何も作りだせない人なので、
自分の手で何かを作りだし生みだすことのできる人を無条件に尊敬し憧れてしまいます
ふと目にすると値段の書かれていない作品がありました
ディスプレーかな?と思いながらも訊ねると、
つい先ほど仕上がったばかりの店主さんの作品であるとのこと
時計の文字盤に錠前と鍵という組み合わせが何とも気に入り即決で購入
男の僕が着けても違和感の無い少し短めのチョーカーで、
手首に巻いてブレスレットにしても決まります
僕がお気に入りを見つけられたようにあなたのお気に入りがきっと見つかるはず
一周年記念イベントは23日の日曜日まで開かれております
この機会にぜひどうぞ足を運ばれてみてください!
店主さんはモデルもされているとても素敵な方です
僕も来月作品を身に着けていただいた撮影をお願いしております
(腕をもっと磨かなきゃ・・・)
お店の詳しい情報はこちらからどうぞ→「マイショコラ」
前売りを買っていたのに時間が全然取れずようやく観に行くことができました
ニューヨーク・タイムズ紙でファッションと社交界、二つの人気コラムを担当するビル・カニンガム氏
半世紀に渡りニューヨークの街角でストリートのファッショントレンドを写し続け、
御年84歳の現在でも一人街に出て写真を撮り続けている生きる伝説の写真家です
映画作品としての面白さもさることながらそれ以上に氏のファッションへの情熱、
仕事に対する思いと取り組み方に感銘を受けずにはいられませんでした
どんな職種のどんな仕事をしている人であっても通じるものがきっとあるはず
特に僕が好きな彼の言葉は「私のしていることは仕事ではなく喜び」
そしてもう一つ「美を追い求める者は、必ずや美を見出す」です
先月の記事にも映画の公式サイトをリンクさせておりますが再度載せていただきます
(こちらからどうぞ→)
地域によっては来月も引き続き上映されておりますので気になる方はぜひどうぞ
写真はシアターキノの廊下で遭遇したビル・カニンガム氏
そして今日のメインイベント、マイショコラさんへ御挨拶に
お目当ては開店一周年の記念イベント「まちの中で生きてます」を観に
店主さんのブログを拝見してどうしても見てみたかったのがこちらのネックレス
白い椅子は什器ではなく椅子全体がネックレスになっています
写真でどれだけ伝わるか分かりませんが細かいところまで考えられて実によくできています
僕が特に感心したのは咲いている花の“周りの草花”の部分
つぼみはまるでこのまま待てば咲いてくれそうです
僕自身はとても不器用で何も作りだせない人なので、
自分の手で何かを作りだし生みだすことのできる人を無条件に尊敬し憧れてしまいます
ふと目にすると値段の書かれていない作品がありました
ディスプレーかな?と思いながらも訊ねると、
つい先ほど仕上がったばかりの店主さんの作品であるとのこと
時計の文字盤に錠前と鍵という組み合わせが何とも気に入り即決で購入
男の僕が着けても違和感の無い少し短めのチョーカーで、
手首に巻いてブレスレットにしても決まります
僕がお気に入りを見つけられたようにあなたのお気に入りがきっと見つかるはず
一周年記念イベントは23日の日曜日まで開かれております
この機会にぜひどうぞ足を運ばれてみてください!
店主さんはモデルもされているとても素敵な方です
僕も来月作品を身に着けていただいた撮影をお願いしております
(腕をもっと磨かなきゃ・・・)
お店の詳しい情報はこちらからどうぞ→「マイショコラ」
「やらなくては」から「やろう」へ [monologue]
「運動しなくちゃ」とか「野菜を食べなくちゃ」とか・・・・・・。
なぜか人は、健康や美容に関することを、
義務のようにとらえがちです。
私自身もそうでした。パリにいたころ、
早く目標に到達しなくてはと肩に力が入るあまり、
自分に義務として課していたことが多すぎたように思います。
たとえば、運動も一日に何回はやらなくてはいけないとか
三日に一回は必ずボディケアをやらなくてはいけない、とか。
でも、それがかえってプレッシャーになって、
やる気をそいでいることに気が付いたのです。
自分のペースで自分にできる範囲のことを続ける・・・・・・、
そのほうが、ずっと身体のためになるのだと気が付いたのです。
以来、私は決めごとをつくるのを一切やめました。
「やらなくては」から、「やろう」に変わったこと。
これは私にとって、とても大きな進歩だったように思います。
川原亜矢子さんの言葉です
美容と健康に関して述べられておりますが、
「やらなくては」から「やろう」への変化は、
仕事などどの分野にも当てはめることができるもので、
変化はやがて進化へとつながっていく
そう思えてなりません
休み明けの月曜日
「やらなくては」で仕事をしても気が重たいだけ
心からの「やろう」になればいい仕事、きっとできるはずです
おやすみなさい
明日も素敵な良い一日となりますように
なぜか人は、健康や美容に関することを、
義務のようにとらえがちです。
私自身もそうでした。パリにいたころ、
早く目標に到達しなくてはと肩に力が入るあまり、
自分に義務として課していたことが多すぎたように思います。
たとえば、運動も一日に何回はやらなくてはいけないとか
三日に一回は必ずボディケアをやらなくてはいけない、とか。
でも、それがかえってプレッシャーになって、
やる気をそいでいることに気が付いたのです。
自分のペースで自分にできる範囲のことを続ける・・・・・・、
そのほうが、ずっと身体のためになるのだと気が付いたのです。
以来、私は決めごとをつくるのを一切やめました。
「やらなくては」から、「やろう」に変わったこと。
これは私にとって、とても大きな進歩だったように思います。
川原亜矢子さんの言葉です
美容と健康に関して述べられておりますが、
「やらなくては」から「やろう」への変化は、
仕事などどの分野にも当てはめることができるもので、
変化はやがて進化へとつながっていく
そう思えてなりません
休み明けの月曜日
「やらなくては」で仕事をしても気が重たいだけ
心からの「やろう」になればいい仕事、きっとできるはずです
おやすみなさい
明日も素敵な良い一日となりますように
夢を語る人 [monologue]
少しですが今日は久し振りに「夢のある人」と会話をしました
時折不安そうな顔や悩んでいる様子を見せつつも、
自分の夢について語るその人はとてもキラキラと輝いていました
自分がその人と同じくらいの歳だった頃
「やりたいこと」に対するこだわりや叶えたい夢も無く、
今で言うところのブラック企業で働いていました
自分にとって仕事は生きていくお金を得るためのもの
それ以上でもそれ以下でもありませんでした
元々綺麗なもの、美しいものが好きで、
宝石に関わる仕事がしたいという思いはありました
でも僕が求めているものとはどこか違う気がして・・・
安定した仕事をなげうって自分が“違う”と感じる世界に飛び込むことができませんでした
僕はずっと「夢」の無い人間だったんです
いろいろと・・・本当にいろいろとあってやっと今の仕事にたどり着きました
今、僕には夢があります
アンティークの良さをもっともっと知ってもらいたい
そして優しく美しい世界を実現したい
僕には夢があります
一生をかけたい夢が
時折不安そうな顔や悩んでいる様子を見せつつも、
自分の夢について語るその人はとてもキラキラと輝いていました
自分がその人と同じくらいの歳だった頃
「やりたいこと」に対するこだわりや叶えたい夢も無く、
今で言うところのブラック企業で働いていました
自分にとって仕事は生きていくお金を得るためのもの
それ以上でもそれ以下でもありませんでした
元々綺麗なもの、美しいものが好きで、
宝石に関わる仕事がしたいという思いはありました
でも僕が求めているものとはどこか違う気がして・・・
安定した仕事をなげうって自分が“違う”と感じる世界に飛び込むことができませんでした
僕はずっと「夢」の無い人間だったんです
いろいろと・・・本当にいろいろとあってやっと今の仕事にたどり着きました
今、僕には夢があります
アンティークの良さをもっともっと知ってもらいたい
そして優しく美しい世界を実現したい
僕には夢があります
一生をかけたい夢が
心地よさ [アンティーク]
私にとって、着こなしのベースは「心地よさ」です。
それはビジネスの場であってもプライベートであっても、
TPOを問わず同じです。
心地よさというと、ともすると楽なこと、ととらえられがちですが、
決してそうではありません。
自分の体型を活かすラインであったり、
肌に触れて気持ちいい上質な素材であったり、
顔が明るく見える色であったり、動きやすさであったり・・・・・・。
言い換えれば、自分らしくいられるために必要な
さまざまな条件が満たされて初めて実感できるもの。
それが私にとっての心地よさです。
何かあるごとに、ふと自分を委ねたくなる服。
知らず知らずのうちに何度も着たくなる服。
そんな心地よい着こなしは、自然と背筋をぴんと伸ばし、
顔の表情さえ変えてくれるような気がします。
心地よさは、結果として自分を美しく見せてくれる、
ということなのだと思います。
川原亜矢子さんの言葉です
「着る」は「(身に)着ける」になりますので服をジュエリーに置き換えても同じ意味になります
心からの心地よさ感じていただけるようなジュエリーが見つからないとお悩みのあなたへ
答えはきっと、アンティークの中にありますよ
それはビジネスの場であってもプライベートであっても、
TPOを問わず同じです。
心地よさというと、ともすると楽なこと、ととらえられがちですが、
決してそうではありません。
自分の体型を活かすラインであったり、
肌に触れて気持ちいい上質な素材であったり、
顔が明るく見える色であったり、動きやすさであったり・・・・・・。
言い換えれば、自分らしくいられるために必要な
さまざまな条件が満たされて初めて実感できるもの。
それが私にとっての心地よさです。
何かあるごとに、ふと自分を委ねたくなる服。
知らず知らずのうちに何度も着たくなる服。
そんな心地よい着こなしは、自然と背筋をぴんと伸ばし、
顔の表情さえ変えてくれるような気がします。
心地よさは、結果として自分を美しく見せてくれる、
ということなのだと思います。
川原亜矢子さんの言葉です
「着る」は「(身に)着ける」になりますので服をジュエリーに置き換えても同じ意味になります
心からの心地よさ感じていただけるようなジュエリーが見つからないとお悩みのあなたへ
答えはきっと、アンティークの中にありますよ
未来の自転車?(動画も見つけました) [monologue]
*インターネットエクスプローラーで視聴できない場合はグーグルクロームでお試しください
実用性はちょっと微妙ですがぜひ試してみたい!
未来の自転車に乗って「飛ぶ」のでなくのんびり「空中散歩」を楽しんでみたいです
駆動音が大きいからもう少し静音化してほしいな・・・
当たり前のことだけど [monologue]
賭け事は胴元が必ず儲かるようにできています
収益や経済効果のことを強調しているけれど遊びとして楽しむことのできる極一部の人を除けば、
その収益の元になるのは一般の人たちのすってしまったなけなしのお金になるということ
カジノが格好良いのは007シリーズなど映画の中だけ
実際には何にも良いものじゃないと思います
経済効果は確かにあるでしょうし、
好きな人は好きなのでしょうから合法化そのものに反対はしません
でも日本には合わないというか実現できたとしても洗練とは程遠い格好の悪いものになる気がします
それでもパチンコや各種公営ギャンブルに比べたらいくらかはましかもしれません
社会人に成りたてのころ、上司に無理やり付き合わされて一度だけパチンコに行ったことがあります
ビギナーズラックとは全く無縁であっという間に持ち球が無くなってしまい、
遊んでいるという感覚が全く無くてこんなもの何が面白いのだろうと嫌悪感でいっぱいでした
でもギャンブル依存症は誰にでも起こりうることだと思っています
若い頃の一度きりのパチンコでしたがビギナーズラックが起こらなかったことこそが、
本当のLuckだと思っています
あの時大当たりしていたら悪い意味で自分の人生が変わってしまっていた可能性があるのですから
今でも僕は一切ギャンブルをしません
君子危うきに近寄らずではありませんがギャンブルは初めから近寄らないのが一番です!
収益や経済効果のことを強調しているけれど遊びとして楽しむことのできる極一部の人を除けば、
その収益の元になるのは一般の人たちのすってしまったなけなしのお金になるということ
カジノが格好良いのは007シリーズなど映画の中だけ
実際には何にも良いものじゃないと思います
経済効果は確かにあるでしょうし、
好きな人は好きなのでしょうから合法化そのものに反対はしません
でも日本には合わないというか実現できたとしても洗練とは程遠い格好の悪いものになる気がします
それでもパチンコや各種公営ギャンブルに比べたらいくらかはましかもしれません
社会人に成りたてのころ、上司に無理やり付き合わされて一度だけパチンコに行ったことがあります
ビギナーズラックとは全く無縁であっという間に持ち球が無くなってしまい、
遊んでいるという感覚が全く無くてこんなもの何が面白いのだろうと嫌悪感でいっぱいでした
でもギャンブル依存症は誰にでも起こりうることだと思っています
若い頃の一度きりのパチンコでしたがビギナーズラックが起こらなかったことこそが、
本当のLuckだと思っています
あの時大当たりしていたら悪い意味で自分の人生が変わってしまっていた可能性があるのですから
今でも僕は一切ギャンブルをしません
君子危うきに近寄らずではありませんがギャンブルは初めから近寄らないのが一番です!
お散歩 [猫さん動画]
のんびり気ままなお散歩を猫さんとすること
僕の夢のひとつです
どちらかが前に出るのではなく、
同じ歩みで並んで一緒に歩きたいです
お腹が空いたニャーと言われたらおやつをあげ、
疲れたニャーといったら抱っこしてあげる
何て至れり尽くせりな飼い主でしょう(笑)
現実的には難しいですが想像するだけで楽しくなっちゃいます
ワンさんとは暮らしたことはありませんが理想的なお散歩ですね
なんだか探検しているみたい
おまけ
ワンさんを散歩させてあげる猫さん
おそらく世界で唯一の存在です
僕の夢のひとつです
どちらかが前に出るのではなく、
同じ歩みで並んで一緒に歩きたいです
お腹が空いたニャーと言われたらおやつをあげ、
疲れたニャーといったら抱っこしてあげる
何て至れり尽くせりな飼い主でしょう(笑)
現実的には難しいですが想像するだけで楽しくなっちゃいます
ワンさんとは暮らしたことはありませんが理想的なお散歩ですね
なんだか探検しているみたい
おまけ
ワンさんを散歩させてあげる猫さん
おそらく世界で唯一の存在です
自由になれる日 [monologue]
人類が宗教から自由になれる日が来るのだろうか?
少なくとも僕が生きている間は無理だと思うけどいつか必ずその日が来てほしい
トルコで大規模な反政府デモが行われていて事態は収拾するどころかより激しさを増している
独裁者呼ばわりされている首相の強権的で傲慢な言動のせいもあると思うけど、
デモに参加している人は宗教と政治が結びつくことを、
もっと言えば個人の自由な生活、生き方に宗教が介入することに対してNoを突きつけているのだと思う
信仰の自由があるのなら信仰しない自由だってあるはず
宗教と政治を分離することのできなかったオスマン帝国から
世俗主義(政教分離)のトルコ共和国となって今年で90年
個人の自由こそが最も大切であると気付いた人々が世俗国家を守ろうとしているのに対し
盲信を止めず個人の自由を制限してでも、
信仰に基づいた政治を行おうとする人々が未だいるところに宗教の怖さがある
死んだ後のことは本当は誰にも分からないのに、
死んだら天国に行けると過剰に期待させたり地獄に落ちると恐怖と不安を煽ったりする
「アラーの神なんてどこにいるのよ!」
イラクで戦争に巻き込まれた女性が泣きながら叫んでいた
生きている間に救われなくてどうするというのだろう
宗教では何も救われない
生きている人の心を救うのはいつだって優しさと美しさだけ
一人でも多くの人が早くそのことに気が付きますように
そういえば so-net も [monologue]
ソニーの子会社ですね
容量が重たく、時々コメントの返信ができなかったりする時もありますが、
シンプルで使いやすいデザインが気に入っているのでso-net以外でブログを書く気になれません
デザイン性、ブランド力などソニーの強みはso-netにも現れてると思います
TVなどのエレクトロニクス部門が巨額の赤字を出していることも、
それを補っているのがエンターテイメント部門であることも何となくは知っていましたが、
一番の稼ぎ頭が保険などの金融部門であるということは全然知りませんでした
僕の部屋のTVはソニーのブラウン管(トリニトロン)で1993年製です
地デジチューナーを接続して今でも現役で使っています
故障の兆候は全くありません
昨今では故障しやすいイメージのあるソニーですが、
この二十年使い続けているTVのことがあるので僕はソニー製品への悪い印象は全くありません
このような外圧に屈することなくこれからも高い技術力で素晴らしい製品を作り続けてほしいです
“未来”を感じさせてくれる革新的技術だってきっと準備万端のはず
いつまでも応援したい企業であってほしいものです
同じ年代の作品を扱う者として [アンティーク]
何とか持ち主のもとへと送り届けてあげてほしい
もしかするともう捨てられてしまったのかと諦めているのかもしれないから
1918年ということは今から95年も前になりますが、
写真の方が当時5歳くらいだとして100歳のおばあちゃんならまだ存命している可能性があります
クマさんはすっかり痩せてしまっていますし写真には無い足の裏のラインなど相違点もありますが、
個人の方が大切に残し続けてくれたものであることに変わりはありません
だからもしも落とし主が見つからなかったとしても簡単に捨てたりしないでほしいです
同じアンティークでもジュエリーなどに比べれば輝きそのものはないかもしれません
でも誰かに大切にされ続けてきた歴史があります
その歴史に敬意を表し、
個人の方が無理なら写真と共にテディベア博物館で引き取ってもらえることを願ってやみません
このまま捨てられてしまったらあまりに不憫です
作品の価値は金額だけで決まるのではありません
どれだけ大切にされてきたかがまた重要なのです
あなたがお使いの品が世代を超えて愛されるかもしれません
古くなったからと簡単に捨てるのはそれこそ“もったいない”です
思い入れのあるものならどうか永遠に
タイムトラベルが可能だったら [アンティーク]
生きのびることができた人たち [monologue]
現代日本もある意味生きのびるには過酷な環境です
有名なお話なので御存知の方も多いかと思いますがあらためてお読みいただけたなら幸いです
無理に意識してするのではなく当然のこととして行えないと生きのびることはできません
第二次大戦の勝利者である連合軍は、あの過酷なアウシュビッツの環境で最後まで生を維持させた人間の特性に興味を抱き調査団を組織した。その報告が正確であるならば、生命の維持力と身体的な強靭さの間には何の関係も見出せなかった。そして生命を最後まで維持させた人々の特性は次の3種類に分類された。
第1の分類には、過酷な環境にあっても「愛」を実践した人々が属した。アウシュビッツの全員が飢えに苦しんでいる環境で、自分の乏しい食料を病人のために与えることを躊躇しないような人類愛に生きた人々が最後まで生存した。
第2の分類には、絶望的な環境にあっても「美」を意識できた人々が属した。鉄格子の窓から見る若葉の芽生えや、軒を伝わる雨だれや、落葉の動きなどを美しいと感じる心を残していた人々が最後まで生存した。
第3の分類には「夢」を捨てない人々が属した。戦争が終結したならばベルリンの目抜き通りにベーカリーを再開してドイツで一番に旨いパンを売ってやろう、この収容所を出られたならばカーネギーホールの舞台でショパンを演奏して観客の拍手を浴びたい、などの夢を抱くことができた人々が最後まで生存した。