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スローな音楽を聴きたい [monologue]

家を一歩出たらそこら中から聞こえてくるあふれる“ノイズ”から心を守るために

外の世界はなぜこうも静粛や静寂とは無縁なのでしょう?

哲学者マックス・ピカートはこう言っています

「私には静寂が必要です。それは私の贅沢で、これだけは手放すことができません。食べ物や眠りを放棄することはできても、静寂だけは手放すことができません。私には人々とラジオの騒音から隔てられた静寂さが必要なのです。」

現代でも変わらず静寂は贅沢

彼によると

「ナチズムを生み出したのは沈黙とはまさに正反対のもの。すなわち怒号であり、叫び声であり、号令であり、すなわち内面的な連続性を少しも持たず、ただある瞬間から次の瞬間へと何の脈絡もなく生きているに過ぎない人間が、自分の存在を絶え間なしに絶叫する、その絶叫だった。」

というのです

21世紀の今、さすがに同じ悲劇がまた繰り返されることはないと信じたいですが、

このままノイズにまみれ続けているとどうにかなってしまいそうです

家に帰ったら、心地良い音楽で心を洗い流しましょう

エラ・フィッツジェラルドの「セプテンバー・ソング」

明日もどうか良い一日となりますように



和歌の中で [アンティーク]

「白玉」もしくは一文字で「玉」は真珠のことを表します

(そのままストレートに「真珠」と表記するものもあり)

平安貴族の習いとして和歌を贈るのは当然のことですが、

真珠そのものを女性に贈ることは当時の日本では貴族といえどまずありませんでした

裕福な貴族であっても手が出ないほど高価だったからでしょうか?

たしかに高価であったことは想像に難くありませんが、

真珠は宝物として寺社への寄進や交易品として扱われ、

高貴な人であっても真珠をジュエリーとして身に着けることがなかったからです

本来のあるべき姿として身に着けるようになるのはもっとずっと後の時代に

それでも真珠は古来よりの美の象徴


「玉よする浦わの風に空はれて光をかはす秋の夜の月」


(真珠をうちよせる浦風により秋の夜空は晴れ渡り、
浜辺では真珠と月とが光を映し合っている-千載和歌集より)

ご存知の通り真珠は貝の中で眠っているので、

何かの偶然がなければ真珠そのものの状態で浜辺にうちよせられることはありません

でも想像するだけでなんて美しい情景でしょう

その場にぜひ僕も立ちあいたいものです

真珠と月(石)との美の競演は和歌のみにあらず

美はこの現世にこそ必要なのです

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作品詳細はこちらです→

ONE [monologue]

何だか今年は毎月欠かさぬかのように有名人の不倫事件が報道されています

正直もう食傷気味なので四月以降はこういった話題の出ない2016年であってほしい

有名人に限らずですが浮気、二股、不倫をしてしまう人は少なからずいます

きっとそういう人は・・・

“たった一人の人がいてくれる”

それがどんなに素晴らしく素敵なことであるか気が付いていないのです

まずこれだけ多くの人の中から出会えること自体が奇跡

しかも自分も含めて全てがこの世界でひとつしだけのかけがえのない存在

他にいくらでもいるといったそんな存在ではないのです

たった一人の人もいない、自分だけしかいない日々を知っていますか?

たった一人の誰かの重みを知っていますか?

一人でいい

そばにいてくれる人は・・・一人でいいんです

最も近くにいる人を大切にできない人は、

人に、ものに、全てにおいて大切にできないのです

そのことを心から理解する人が増えていったなら

この生きにくい世の中も少し良くなる

病み上がりの僕は最近あらためてそんなことを考えています

明日から月曜日

どうか良い一週間となりますように

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「海潮音」より [アンティーク]

(久々の酷い風邪ですっかり臥せってしまいました。皆さまもどうぞご自愛ください)

ながれのきしのひともとは  (流れの岸の一本は、)
みそらのいろのみづあさぎ  (御空の色の水浅葱、)
なみ、ことごとく、くちづけし(波、ことごとく、口づけし)
はた、ことごとく、わすれゆく(将、ことごとく忘れゆく)

海潮音(かいちょうおん)はヨーロッパ各国の詩を集めた訳詞集です

ドイツの詩人ヴィルヘルム・ワレントの詩「勿忘草」を訳したものですが、

明治時代に発刊されたにも関わらず意外な事にこの詩はひらがなのみで表記されています

現代だとかえって分かりにくいので漢字を当てはめてみました

前半は勿忘草の咲く風景ですが、

後半は一種の無常観を表しているものと解釈しています

はたは旗ではなく将の字があてはまり、

将は「しかしながら」、「とはいえ」の意味を表します

水は形を持たず常に変化し、

勿忘草に口づけをした次の瞬間にはもう形が変わりそこから離れていってしまいます

作者の方は「私を忘れないで」など意味がないと考えていたのでしょうか?

もしかすると勿忘草のジュエリーを贈ったことも、

贈られたこともなかったのかもしれません

作品がある限り人が人を想い合う気持ちは永遠

そのことを知っていれば・・・

詩の内容も無常とは全く縁のないものになっていたことでしょう

永遠に受継がれるものは硝子越しの中にのみあるのではありません

実作品を身に着けられてぜひそのことをご実感ください

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勿忘草を詠う [アンティーク]

仏蘭西のみやび少女がさしかざす忽忘草の空いろの花

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北原白秋歌集「桐の花」より

イギリス生まれの指輪ですが1866年から続く150年もの歴史のなかのどこかで、

“フランスの雅少女”の指とともにある時代があったかもしれませんね

時は今、日本の女性に受継いでもらいたい

雅な少女の心、忘れることなき人に

 [猫さん動画]

アインシュタインは「人にとって最も美しい経験」は「謎」だと言っています

謎というものに直面したことがなく、

不思議だと考え込まない人はもはや死んだも同然の存在だというのです

もしも「謎」をお忘れになったと感じたら猫さんと接してみてください

謎と不思議そして可愛さに満ちあふれ心を蘇らせてくれる存在です

(今日は二本立てでどうぞ)






自己犠牲 [monologue]

まだブラック企業などという言葉もなかった時代ですが僕が最初に勤めた会社は今でいうところの完全なブラック企業でした。しぶとく生き残っていますが一部上場なのが今でも信じられません。ある日会社の社内報で社長が会社のための「自己犠牲」の崇高さを熱く語っていました。でも僕は他人に求められたり強いられたりする自己犠牲なんて自己犠牲じゃないと心の中で思っていました。そもそも人は誰かを助けようとはなかなかしない利己的なものだという思いもありました。

人間に限らず高等動物になればなるほど利己的になるのかな?ある山でイタチが一匹のウサギに狙いを定め、ひたすら追いかけ狩りをしていました。ウサギは必死に逃げ出します。集団での狩りではなくイタチは単独行動。対して追いかけられているウサギの周りにはたくさんの仲間たちがいます。でも周りのウサギはただ傍観するばかり。力を合わせればイタチを撃退し仲間を助けられるのにそうしようとしない。ウサギは逃げ切れずとうとうイタチに狩られてしまいました。アニマルプラネットをつけた時にちょうど流れていた映像でひとつの例に過ぎないかもしれませんが大変ショックを受けました。助けられたはずなのに助けようとしなかったことが。数も、力も(イタチの勝機は俊敏な動きにあります。追い続けて疲れさせ、素早く仕留めなければ力の強いウサギに逆襲されてしまいます)ウサギの集団の方が立場は上なのに。

以前にも書いたことがありますがネズミでさえ仲間を助けるために我が身を犠牲にしますし、もっといえばこれは最近知ったのですが単細胞でさえも自分の種族、仲間を守ろうとするのです。ある単細胞生物が食べられてしまう時、最後に毒素を吐いて他の仲間に犠牲が広がらないようにするのです。高等生物とはかけ離れた存在なのに・・・。

いざっていう時、僕は身を捨てて誰かのために何かをできる人間だろうか?もっと若かったころは今よりそうできていたかもしれない。よりかかられて重みに・・・とうとう潰れてしまったけれど。今ならどこまでできるかは分からないけれど、たとえ一人でも、誰かに頼られ必要とされてみたい。自分のためにだけでは生きられない。最近つくづくそう思う・・・。

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おデブとまではいかないけれど [猫さん動画]

ちょっとぽっちゃり気味なのは人間の食べ物にご執心だから?

興味津々といったレベルを通り越し、

隙あらば食べる気満々で真剣に狙っているお姿がとっても可愛いです

こちらから与えない限り、

猫さんは基本的に人間の食べ物に興味を示さないとは言われています

でもやっぱりにおいもありますし与えなくても興味をもってしまう子はいると思います

一度でも可愛さに負けてあげてしまったらもうダメ

お互いに食べ物の誘惑に負けないようにいたいものです

それでは、どうぞ

とっても可愛い猫さんの動画です



IDEA [アンティーク]

高校時代、理数系も体育系も全くダメな僕は根っからの文系人間でした

社会科では特に倫理と世界史が好きで高校を卒業してもう何年にもなるというのに、

当時の資料や教材をいまだに持っていて時々読み返したりしています

ギリシャの哲学者プラトンはこの世界には、

イデア(IDEA)というものが存在するとしています

イデアそのものは目に見えない存在ですが、

この世界のあらゆるものの中にそれが分有されているというのです

美しいものについていえばそれが“美のイデア”を分有しているがゆえに美しく、

美のイデアとは美の原理であり、

それは時間や空間を超えた永遠の存在であるとの考えです

目には見えないものが美しさをつくっているとの考えですね

それに対し弟子のアリストテレスはイデアを目に見えるものととらえました

個々の素材のなかに含まれる「本質的な特徴」こそがイデアであると主張したのです

僕が扱うアンティークジュエリーでいえばたとえばダイヤモンドという素材

職人の方が作品を作る時、ダイヤモンドという素材の中に職人の方が求めるのは、

指輪という“形”です

職人の方は目の前にあるダイヤモンドの中に指輪というイデアを見ている

アリストテレスはこの形こそがイデアだというのです

どちらが正しいのでしょう?どちらも正しい気がします

地球上で最も硬い物質という特徴もありますが、

ダイヤモンドの“本質的な特徴”は美しいということ

そしてこんなにも美しいのは目に見えるものだけにとどまらない、

目に見えない何か(美のイデア)がきっとあるからだと思うんです

アンティークジュエリー

それはあなたとともにある永遠の美のイデア

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どうやって [monologue]

撮ったのだろう?

そう思われたり言われたりするのがとてもうれしかった・・・

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学生の頃住んでいた街にあった素敵なビストロで撮った写真です

(スライドフィルムをスキャナーで取込み)

デジタルカメラや画像加工ソフトなど想像もつかなかった時代

カメラを使いこなすにはある程度の知識と技術が必要でした

“偶然”の結果だった時もありますが、

変わった写り、表現をするための瞬間的計算が当たった時の嬉しさは格別でした

これは今のようにモニターで直ぐに写りを確認することができず、

「現像」して結果が分かるまでに時間がかかるがゆえのもの

写真に限らずですが今ではなかなか味わえない“待つ楽しさ”です

忙しない毎日だからこそ

“その一枚”のためにゆっくり、時間をかけて写真を撮ってみたい

今の時代、それはとても贅沢なこと

春になって花が咲いたら・・・

久しぶりにフィルムで撮ってみようかな?

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連動 [猫さん動画]

心と体はそれぞれ別々に動くものにあらず

密接に連動しているもの

検査に行った病院であらためてそのことを感じていました

「どんな英雄豪傑もその日の体調次第で震えがくるものだ」

池波正太郎さんもそう言っております

心、体、共に大切でどちらかが優先されるものではないのに、

普段の暮らしでどちらか一方を優先させてしまってる

そんなことはありませんか?

健康でありたいものです

心も体も

・・・・・

体の健康のお手伝いはできませんが心の健康のお役に立てましたなら・・・

かわいい猫さんの動画で心癒されてください

ゆりかご、不法占拠中




時計の裏に [monologue]

刻まれた言葉はNoli Metuere

ラテン語で「恐れることなかれ」

何かに怖じ気つきそうになった時、勇気を出したい時、

その時計を身に着けるようにしています

立ち向かうために

つい最近の、現実的恐怖のひとつ…

僕は注射はあまり得意ではないのですが献血が好きです

世のため人のためそして自分のために

献血をすると約一週間後に測定した血液検査の結果が郵送されてきます

何かの時に役立つと思い、以前のものも捨てずにずっととってあります

今月初めに採血した結果が送られてきたのですがある数値が今までで一番、

断とつといっていいほどに悪く、

病気を抱えてしまったのだと非常に暗澹たる思いになりました

病院というところがはっきりいって苦手

「宣告」を受けるのがとても怖かった・・・

でも今日、行ってきました

恐れずに、勇気をもって

結果は・・・明後日もう一度検査が必要だけど恐らく大丈夫でしょうとのこと

血液型(ちなみに僕はABです)の分類がABO式以外にも各種あるように、

心配していた病気の判断基準を知るための方法も複数あり、

献血の検査とは別の方法で数値を確認するとのことでした

(もっと長い期間に遡って判別できるそうです)

まだ安心はできませんが恐れずに直視して行動して良かったと思っています

こうしたことに限らずですが何かに怖気づいてしまいそうな時、

きっと誰にでもあると思います

何かの力を頼ってもいいから恐れずに勇気をもって、

一歩を踏み出すことの大切さを改めて感じました

“今日死んで明日生き返る”のが人だけど、

明日が来てくれるかは誰も本当は分からない

だからこそ明日を恐れて今日を終わらせることのないように

明日もどうか良い一日でありますように

はしごをのぼる途中で [猫さん動画]

ふりかえると僕の家の灯りが見える♪

と、昔ある人が歌っていました

猫さんには何が見えているでしょう?

階段の昇り降りは普通にできるのでこれくらいは全然余裕です



でもこれは凄い・・・垂直をよじ登っています!

人間以外にこんなことができる生きものがいるとは思いもよりませんでした



昇るのはいいけれど降りられるの?

安心してください

降りれますよ



そろそろ [monologue]

寿命かな・・・とは思っていました

ただ今まで全く故障の一つもなかったので、

まだまだ使えるような気もしていました

でも結局寿命が来てしまい、6年振りくらいに買いました

プリンターは無いと困る必需品です

無線LANやスマートフォンとの連動など機能の進化に驚くばかり

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寿命が来てしまった以前のプリンターは結構気に入っていたものだったので、

ダメ元で修理について問い合わせてみましたが・・・やっぱりダメでした

部品交換が必要なのですが保有期限が過ぎていたため修理不可能とのこと

もし修理できたとしてもきっと新しく買った方が安上がりだったことでしょう

壊れたものを治すために「何とかする」のが「修理」だと思うのですが、

解決方法は部品交換のみでそれ以外では何とかすることができないというのは、

使い続けたいと思っている人にとって残念なことです

もしかしたら本当はこのように何でも治せるのかもしれません



6年使いましたが現代のコンピューター仕掛けの工業製品の中では、

むしろ長持ちした方かもしれません

でもか弱き電気によって作られ、動いている世界の製品の、

あまりの儚さに唖然としてしまいました

同じ電気製品でもアールヌーヴォー期のランプなら今でも灯りをともしてくれますし、

たとえ電気の部分がだめになっても最高のインテリアとして使い続けることができます

周りを見渡してみてください

100年後も使い続け、輝き続けることができるもの

未来の人に価値を認めてもらえるであろうものがいったいどれほどあることでしょう?

ほとんど無いのではないでしょうか

だからこそアンティークは未来へと続く特別な存在

そして特別なものを手にすることができるのはいつの世も選ばれし人だけ

アンティークの美しさは時を超え、価値を認められるもの

永続のなかにこそ、美徳はあるのです

25 [monologue]

秒で一番列車のチケットが完売した北海道新幹線の開業まで・・・

あと25日!

いよいよ今月開業です!

(写真は札幌駅西口の“カウントダウンモニュメント”)

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まだ函館までではありますが新幹線が北海道を走るなんて夢のよう

子どものころの記憶

南小樽駅に掲げられていた言葉

「北海道に新幹線を」

今でもその情景が浮かんできます

当時は写真や映像でしか見たことがなく、

新幹線はどこか遠い、別世界にあるような存在でした

初めて乗ったのは二十歳を過ぎてからです

いつか大人になったら北海道にも来て自分も乗れるかな?とは思っていましたが、

思いの外に時間がかかってしまいました・・・

5月のアンティークフェアin新宿へは飛行機で行きますが、

10月は新幹線に乗って訪れてみようと思っています

次は一日も早く札幌まで延伸しますように

飛行機が苦手な方ももうこれで安心

函館からは特急に乗換えてぜひ札幌まで足を運んでみてください

そしてその時はぜひ僕にも声をかけてみてください

いつだってお気軽にどうぞです



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