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「海潮音」より [アンティーク]

(久々の酷い風邪ですっかり臥せってしまいました。皆さまもどうぞご自愛ください)

ながれのきしのひともとは  (流れの岸の一本は、)
みそらのいろのみづあさぎ  (御空の色の水浅葱、)
なみ、ことごとく、くちづけし(波、ことごとく、口づけし)
はた、ことごとく、わすれゆく(将、ことごとく忘れゆく)

海潮音(かいちょうおん)はヨーロッパ各国の詩を集めた訳詞集です

ドイツの詩人ヴィルヘルム・ワレントの詩「勿忘草」を訳したものですが、

明治時代に発刊されたにも関わらず意外な事にこの詩はひらがなのみで表記されています

現代だとかえって分かりにくいので漢字を当てはめてみました

前半は勿忘草の咲く風景ですが、

後半は一種の無常観を表しているものと解釈しています

はたは旗ではなく将の字があてはまり、

将は「しかしながら」、「とはいえ」の意味を表します

水は形を持たず常に変化し、

勿忘草に口づけをした次の瞬間にはもう形が変わりそこから離れていってしまいます

作者の方は「私を忘れないで」など意味がないと考えていたのでしょうか?

もしかすると勿忘草のジュエリーを贈ったことも、

贈られたこともなかったのかもしれません

作品がある限り人が人を想い合う気持ちは永遠

そのことを知っていれば・・・

詩の内容も無常とは全く縁のないものになっていたことでしょう

永遠に受継がれるものは硝子越しの中にのみあるのではありません

実作品を身に着けられてぜひそのことをご実感ください

_RIM2743

勿忘草を詠う [アンティーク]

仏蘭西のみやび少女がさしかざす忽忘草の空いろの花

_IGP9928

北原白秋歌集「桐の花」より

イギリス生まれの指輪ですが1866年から続く150年もの歴史のなかのどこかで、

“フランスの雅少女”の指とともにある時代があったかもしれませんね

時は今、日本の女性に受継いでもらいたい

雅な少女の心、忘れることなき人に

IDEA [アンティーク]

高校時代、理数系も体育系も全くダメな僕は根っからの文系人間でした

社会科では特に倫理と世界史が好きで高校を卒業してもう何年にもなるというのに、

当時の資料や教材をいまだに持っていて時々読み返したりしています

ギリシャの哲学者プラトンはこの世界には、

イデア(IDEA)というものが存在するとしています

イデアそのものは目に見えない存在ですが、

この世界のあらゆるものの中にそれが分有されているというのです

美しいものについていえばそれが“美のイデア”を分有しているがゆえに美しく、

美のイデアとは美の原理であり、

それは時間や空間を超えた永遠の存在であるとの考えです

目には見えないものが美しさをつくっているとの考えですね

それに対し弟子のアリストテレスはイデアを目に見えるものととらえました

個々の素材のなかに含まれる「本質的な特徴」こそがイデアであると主張したのです

僕が扱うアンティークジュエリーでいえばたとえばダイヤモンドという素材

職人の方が作品を作る時、ダイヤモンドという素材の中に職人の方が求めるのは、

指輪という“形”です

職人の方は目の前にあるダイヤモンドの中に指輪というイデアを見ている

アリストテレスはこの形こそがイデアだというのです

どちらが正しいのでしょう?どちらも正しい気がします

地球上で最も硬い物質という特徴もありますが、

ダイヤモンドの“本質的な特徴”は美しいということ

そしてこんなにも美しいのは目に見えるものだけにとどまらない、

目に見えない何か(美のイデア)がきっとあるからだと思うんです

アンティークジュエリー

それはあなたとともにある永遠の美のイデア

_IGP8900


“スコティッシュ”といえば・・・ [アンティーク]

スコティッシュジュエリー

落ち着いたたたずまいが素敵

スコティッシュフォールド

まあるいお顔と折れ耳が可愛い

でも今日の主役はこちら

スコティッシュテリア(のブローチ)です

愛犬家が多いお国柄のせいでしょうか?

アンティークジュエリーの世界でもよくモチーフにされています

またウェルシュ・コーギー、ヨークシャーテリア、イングリッシュポインター等々、

犬種の名に(連合王国内の)国名、地方や都市名を冠するものも多く、

国や地域の誇りとなっていることを感じさせてくれます

誰もが知っている有名なゴールデンレトリーバーのように、

イギリスでも原産が実はスコットランドという犬種はけっこういます

でもその名に直接冠されたものは意外に少なく、

大型の猟犬、スコティッシュ・ディアハウンドがあるくらいです

またスコットランドが原産のテリアは5種あるのですが

スコティッシュの名を冠するのはただひとつだけです

横から見ると御老体のようなお顔まわりが特徴的ですがれっきとした猟犬

でも猟犬ではありますがどことなくユーモラスな外見はやはり可愛いく、

新婚旅行先だったこともあってスコットランドを愛してやまない、

ヴィクトリア女王の愛犬でもありました

僕もスコットランドには密かな憧れがあり、

できることなら買付けではなくいつか旅としてゆっくりまわりたいと思っています

憧れの国や街に関するものを何かひとつ手に入れたい

同じ思いを抱く方に受継いでいただけたらうれしいです

銀とマルカジットのスコティッシュテリアのブローチ

イギリス、1920年代

本日出品いたしました

お店のホームページへはこちらからどうぞです→

長く使われてきた呼び名は [アンティーク]

なかなか簡単には変更できないもの。「黒太子のルビー」もそのひとつです。

黒太子のルビー.jpg

大英帝国王冠の正面中央、最も目立つ場所にセットされているこの赤い宝石は王冠に使われている宝石の中で最も古いものの一つで、黒太子ことエドワード皇太子が手に入れたのは時に1367年のことです。ルビーと呼ばれていますが実はルビーではなく(レッド)スピネルです。そのことが分かってもなお黒太子のルビーであって黒太子のスピネルとは呼ばれません。スピネルは数ある宝石の中でも産出量がとても少なく希少な石で170カラットにも及ぶこの巨大なスピネルは希少中の希少であるのですから本来の名前に戻してあげても良いと思うのですがそこはやはり受継がれてきた歴史に敬意を表するということなのでしょう。

フランスとの百年戦争の真っただ中、父であるエドワード三世の跡を継ぎエドワード四世になるはずだった黒太子は父王より先に亡くなったため皇太子のまま生涯を終えました。英国王として戴冠することはついになかったのです。

もっとも、この頃王冠にはまだ黒太子のルビーはセットされていませんでした。黒太子のルビーは国有財産ではなくエドワード皇太子が前所有者から個人的にもらい受けた文字通りの個人所有物だったからです。そのためかこれほどまでの見事な宝石であるのに1376年に皇太子が亡くなって以降は1415年になるまで歴史の表舞台に現れることはありませんでした。

エドワード皇太子の前所有者に渡る以前の詳細は分かっていませんがこの赤い宝石が発掘されたのは中央アジア、現代のタジキスタン共和国であると言われています。それがやがて当時グラナダ(スペイン南部)を領有していたイスラム教徒の王族アブー・サイードのものとなりました。当時のスペインは異教徒に奪われた国土を取り返そうとレコンキスタ(国土回復運動)の真っ最中で、カスティーリャ王国(現在のスペイン中部)国王ペドロ一世は国土の回復は成し遂げられませんでしたがアブー・サイードから後に黒太子のルビーとなる赤い宝石を獲得することには成功できたのです。

しかしペドロ一世も安泰ではありませんでした。有力貴族連合と彼らによって(御しやすいからと)担ぎ上げられた異母兄弟から反乱を受けます。絶体絶命のペドロ一世はエドワード皇太子に助けを求めました。16歳の初陣より武人として数々の戦場で名を馳せてきた皇太子以外に頼れる者はいなかったのです。エドワードのおかげで危機を脱したペドロ一世ですが代償もありました。報酬として大事な黒太子のルビーを要求されたのです。渋々、泣く泣く譲り渡し、こうして黒太子のルビーはエドワードのものとなったのです。

ちなみに黒太子の名の由来は彼が戦場でいつも黒い甲冑を身にまとっていたからと言われていますが存命中にこの名で呼ばれた記録は無く、百年戦争の英雄である伝説的な武人を同名の父王と区別するための尊称として後の時代に黒太子と呼ばれるようになったと考えられています。

エドワード以後代々の王朝に受継がれた黒太子のルビーは幸運の石でもあります。再び歴史に登場した1415年、フランスとの百年戦争はまだまだ続いており、イギリスはヘンリー五世の治世となっておりました。同年10月25日、アザンクールの戦いによってイギリスに大勝利をもたらしたヘンリー五世の戦装束は金箔を施した鎧に兜には真珠、ルビー、サファイアを散りばめるといったど派手なもの。中でもひときわ輝くのが大きな黒太子のルビー。目立つので当然狙われます。頭を直撃されもはやこれまで!ところが王は黒太子のルビーと共に無事生き延びたのです。

その後も黒太子のルビーは幾多の危機を乗り越えましたが中でも最大の危機は17世紀でした。世界史の授業で習ったことがあると思いますが17世紀のイギリスは10年ほどの間共和制国家であったため、王権の象徴であるロイヤルジュエリーは共和派によってバラバラにされてしまいました。金は溶かして地金にされ、宝石も売られてしまったのです。普通ならここで歴史の闇に消えてしまうのですが黒太子のルビーの幸運は本物。やがて王政復古によりチャールズ二世によって買取られ(販売者不詳)、再びイギリス王室の宝となったのです。

こちらの写真だとよく分かるのですが黒太子のルビーの最大の特徴は原石から研磨はされていますがカットが施されていないことです。斜めに入った傷は兜に着けられていた際に戦場で受けたものと言われており、上部に蓋(こちらはスピネルではなくルビー)がされているのは首飾りとして使用されていた時期があったためです。長い歴史によって大きさ以上の独特な存在感を持ち、すぐ下にセットされた317.4カラットの巨大なダイヤモンド(カリナンⅡ)に全く引けをとっていません。

黒太子のルビーと.jpg

ルビーを手にされている方はいてもスピネルを、それも希少なアンティークのスピネルを手に入れられ、受継ぐことができるのは選ばれし方のみ。スピネルとダイヤモンドのクラスターリング。身に着けてながめているとルビーとはまた違う独特な雰囲気を感じることができます。そしてそれは・・・受継がれた方だけの特権なのです。

ホームページの作品紹介ページはこちらです→

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人も [アンティーク]

動物だけどただの動物以上の存在

高い知能と豊かな感情をもっている

なればこそ人は、自分自身よりも偉大な存在を求めるのです

ある人にとってそれは信仰かもしれません

またある人には愛であるかもしれませんし、

芸術であるという人もいるでしょう

「自分自身よりも偉大な存在」

それは自らの聖なるものを高め、

魂を修養させてくれるもののこと

目に見えないものであり見えるものでもあるのです

時を超え輝き続けるアンティークジュエリーもまた偉大なる存在

もしも今、生きていくうえで問題を抱えているとしたら・・・

自らの内にある聖なるもの(魂)を見失っているからなのかもしれません

もう一度見つけ出しそして見失わないために

常に照らし導くもの

その身にまとってみませんか?

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トリコトール [アンティーク]

ご存知フランスの三色旗

左から順に青、白、赤と配され、

青は自由、白は平等、赤は博愛を表すと学校でも習ったと思います

「トリコロールというのはフランスの国旗そのものを表す言葉なのかな?」

「それとも青、白、赤の色の組み合わせのことをトリコロールと言うのかな?」

この名を覚えた若かりし頃、二人で語り合っていました

二人とも答えを知らなくて・・・トリコロールというのは三つの色ということであり、

フランス国旗そのものを指す言葉ではないこと

三つの色の組み合わせがあれば青、白、赤でなくとも“トリコロール”であること

そのことを知ったのはずっと後になってのことでした

それよりもちょっとショックだったのが、

青、白、赤はそれぞれ自由、平等、博愛を表すものではないということでした

フランス革命期に生まれたスローガンであり、

現在の国旗も同時期に成立したものなので混同されているんですね

青と赤は元々パリ市のシンボルカラーで革命軍の帽章に使われていました

それにフランス王家を表す白百合の白を配したのが三色旗の成り立ちです

それなのに紛らわしい(?)ことにフランス政府公式ロゴマークでは、

青、白、赤の下にそれぞれ自由、平等、博愛と書かれているんです

たしかに青が自由、白が平等、赤は博愛であるとの明確な規定はありません

でも・・・それぞれの色とそれぞれが表す意味は実際に合っている気がします

感覚的なものですがそれで良いと思うんです

理が全てではないことを知る方に普段使いをしていただきたい

青(サファイア)、白(シードパール)、赤(ルビー)

トリコロールの指輪です

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冬の月 [アンティーク]

「むばたまの夜のみ降れる白雪は 照る月影の積もるなりけり」

ー真っ暗な夜に降る白い雪は、きっと月の光が降り積もってきたものー

(む(ぬ)ばたまとは黒の枕詞)

後撰和歌集に収められた和歌の一首

とても素敵なのに残念ながら“詠み人知らず”・・・

冬の月を詠んだ和歌の中で最も美しい

雪と月はなかなか両立しないものですが

北の街に住んでいるので時に同じ景色を見ることができます

たとえ月の見えない曇りの夜であっても・・・

この歌でいつでも情景を思い起こすことができます

月の光の結晶は雪だけではありません

ここにもうひとつ、月の光の結晶を

冬の月夜の暖かさを知るあなたへ

_RIM2860

記事などでよく見かける [アンティーク]

名前の後ろに(〇〇)と書いて年齢の数字を入れること

あれはいったい何の意味があるのでしょう?

その人がどういう人であるのか

どんな魂(人間性)を持った人であるのか

そのことと年齢の数字は何の関係もないはずなのに必ずといっていいほど入っています

若ければそれだけで価値があるのでしょうか?

数字が大きいからといって“らしく”あらねばならないのでしょうか?

見えない何かに無言で押し付けられ年齢の数字を気にしすぎてしまっては、

まことの花を咲かせることはできません

僕も時分の花だけで終わりたくないです

でもそれには常に磨き続けていかなければなりません

原石からジュエリーになれば余程の事がない限り再研磨の必要のないダイヤモンドに対し

人は磨くことを怠ると曇ってしまうから

まことの花になっても一時で終わらない

常に輝き続ける存在

輝くことと年齢は無関係なことを知るあなたへ

西暦1902年より

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Diamondは [アンティーク]

ダイアモンドという表記もありますが現代の日本ではダイヤモンドと呼び表すのが一般的。ではヨーロッパの主要国ではどうでしょう?それぞれの言語によって発音やアクセントの違いはありますが綴りはどれもほぼ同じでドイツ、フランス、オランダともにdiamant(イタリア、スペイン、ポルトガルでは最後の語尾にeが付きます)。イギリスだけご存知diamondとなり、頭文字diの発音もダイとなりますが他はディとなります。

ここまで同じであるのはどういうことかというと、つまり語源が共通であるということです。もしも古来からヨーロッパの各地でダイヤモンドが産出されていたならば、綴りも発音もそれぞれの違いはもっと多岐に渡っていたことでしょう。でもヨーロッパではダイヤモンドは採れません。全ては外来のものであり、その供給地は長い間インドだけでした。

diamantの語源はラテン語のadamantで更に遡っていくとギリシャ語のadamanteusに行き着き、非常に強固な、壊せない、負けることの無い、断固としたという意味に当たる言葉です。

ダイヤモンドは非常に硬い物質で実際にその通りなのですがここであることに気付きます。それは何でしょう?答えは…美しい光りの輝きや煌めき、透き通るような透明さといった、ダイヤモンドといえば現代なら誰でも思い浮かべるような美しさ。その美しさを表す表現が言葉の意味するものの中に一切無いということです。

これはどういうことかというと古代ギリシャにおいてダイヤモンドは美しい宝石というよりも非常に硬い透明な石という認識だったからです。ダイヤモンドに限らずほとんどの宝石は磨かれてこそ美しい宝石になれるのです。磨くことができなければ原石のまま。紀元前の時代が終わって紀元に入ってからも直ぐに技術が進歩することはなく古代ローマの博物学者プリニウスも著作(博物史)の中でダイヤモンドのことをインドから渡来したもの、多面体で非常に硬いため切断することができないとの記述にとどまっています。

ヨーロッパの人たちが自らの手でダイヤモンドの研磨ができるようになるまで何百年とかかりました。様々なカットが考案され現代では使われていない、アンティークでしかみかけないカットも。なかでも僕が愛するのはオールドマインカット。綺麗だけど画一的で冷たさを感じさせる現代のラウンドブリリアントカットには心が動きません。知ってもらいたい。古いカットであっても美しさに劣ることなど決してないことを。その美しさには優しさがあることを。

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パッと一目見て [アンティーク]

これが何に使うものなのか分かる方はほとんどいないと思います

ヒントは女性をパッと輝かせるためにつかうもの

もう一つヒント、鏡が入っています

さて何でしょう?

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蓋を開くとそこにあるのは・・・

チーク?

それともファンデーション?

もうお分かりですね

答えはメイク用コンパクトです

こちらは未使用品なので実際に何を入れていたか今となっては謎ですが、

ヒンジ(蝶つがい)の無いタイプなのでおそらくパウダー用かと思われます

日本、1950年代

セルロイド製で非常に軽いです

生命の樹を思わせるようなデザインはプリントではなく、

何と手描きで描かれた非常に凝ったものとなっています

第二次世界大戦も終わりお化粧をする余裕もやっと出てきた時代

より美しく輝くために使うものは中身だけでなく、

外観の装いにも美しいこだわりをもって作られていたのです

現代では女性なら誰でもお化粧をしますが、

かつてお化粧するというのは選ばれた上流階級女性の特権だったのです

化粧品自体がとてつもなく高価で、

個人が気軽に買えるようなものではありませんでした

貴重高価なものを入れておくのですから各種の化粧小物はとびきり豪華

手間、費用、時間、全て無視してたった一人の人のために作られ

エナメルを施したり宝石を散りばめたりとまるでジュエリーを入れる宝石箱のよう

現代では個人のために化粧小物を作るなどありえない、ほとんど夢のようなこと

大量生産されたどこでも買えて誰もが手に入れられる同じものであふれています

メイクは自分を表現するもの

ならばそれを入れるものは世界にひとつしかないものを手にしてほしい

誰でもは持つことのできない

あなただけが持つことのできる

あなただけのものを

時に1848年 [アンティーク]

アメリカはカリフォルニアで金が発見されました。世にいう(カリフォルニア)ゴールドラッシュの始まりです。はじめに「アメリカは~」と書きましたが実は発見された1848年当時、カリフォルニアはまだアメリカの領土(州)ではありませんでした。スペイン領→メキシコ領→カリフォルニア共和国(メキシコ-アメリカ戦争中の短期間存続)と経て戦後にメキシコからの割譲を受けて正式な州になったのは1850年に入ってからで、発見された日(1月24日)もまだ戦争は終わっていませんでした(終結は同年2月2日)。もしも当時のメキシコの国力が安定したものでアメリカとの戦争も起こることなく、カリフォルニアも、20世紀初頭に大油田が発見されたテキサスもメキシコ領のままであったならその後の歴史は全く違ったものになっていたことでしょう。

カリフォルニアにおける最初の金の発見は水車の下で偶然見つかった小さな金の粒、そう砂金でした。ゴールドラッシュという言葉からイメージするのは未開の地で山師(鉱山技師)が苦労の末ついに金の大鉱脈を発見!そのニュースが瞬く間に世界中を駆け巡り世界中から大勢の人が一攫千金を求めて押し寄せる!といったものですがカリフォルニアゴールドラッシュの始まりはあくまで偶然で非常に地味なものでした。

第一発見者(サスペンスみたいですがやがて無一文になるであろう彼のその後の人生を思えば正に恐怖のサスペンスです)は鉱山技師でも何でもない、いたって普通の西部開拓者の一人でした。思わぬ発見に彼の雇い主と共に当然秘密にしようとしますが人の口はなかなか塞げないもの。別の人物によってサンフランシスコ(当時の人口は何と1000人にも満たず、町とは呼べないような一開拓地でした)に持ち帰られ、新聞事業者でもあった彼の宣伝によってカリフォルニアでの金の発見が人々に知られるようになったのです。

実は新聞事業者の彼自身は金の採掘に参加しませんでした。その代わりにシャベルやゴールドパン(砂金選鉱用の底の浅いバケツ)といった砂金採取に必要な道具や寝泊まり用のテントなどを買い占めてから自ら金の発見を公表し、採掘者に売ることによって莫大な利益を得たのです。その後も彼は採掘者が必要とするあらゆるものを販売し、新たな採掘者のためにガイドや船の手配をすることによって一代でミリオネアとなったのです。

ゴールドラッシュ期には世界中からのべ30万人もの人が一攫千金を夢見てカリフォルニアを訪れました。最も多かったのがフォーティーナイナーズと呼ばれた1849年の入植者たちで一年間で9万人に達しました。アジアからは清朝時代の中国人が大挙し、現代でも北米最大となるサンフランシスコのチャイナタウンが誕生しました。日本では江戸時代でしたが日本人も一人だけカリフォルニアで金の採掘をしていました。彼の名はジョン・万次郎です。

険しい山や海を超えずともすぐに訪れることのできる、既存の開拓者たちは幸運でした。初期の頃は個人でも簡単に採掘できたので実際に一攫千金を手にすることができました。一月で一年分以上の収入を得ることも可能だったのです。でも簡単に手に入れた利益を永く手元に残すことのできる人は少ないもの。ある程度のところでやめて元の開拓者や船乗りとして暮らせばよいものをなかなかそうはいきません。大金を手にしてギャンブルなどの享楽や事業への投資に失敗して破産する者も出てきます。そしてやがて限度を超えた大量の採掘者のために簡単な道具で採れる金は枯渇し、採掘した金をドルに換えて生活しながらまた金を探すといった自転車操業に陥るものが大勢を占めるようになりました。利益を上げたのは金を採掘する者よりもむしろ採掘者のためのビジネスをする者だったのです。有名なのは丈夫な作業着をとのニーズに応えてジーンズを作ったリーバイストラウス、金の保管、現金への換金、送金業務や護衛で守られた物資の安全な輸送などの業務を独自の駅馬車網で担ったウェルズ・ファーゴ(現存する企業です)。ちなみに創設者であるヘンリー・ウェルズはアメリカンエキスプレスの創業者でもあります。21世紀の現代では僕のお店でももちろんアメリカンエキ
スプレスのクレジットカードがお使いいただけますのでどうぞお気軽にご利用ください。

カリフォルニアゴールドラッシュは誰もが知る、人類史上初の、民族大移動をともなう世界規模のゴールドラッシュでしたが、何故これほどまでに歴史上の大インパクトになったのでしょうか?それは金が現代よりもっとずっとはるかに貴重な存在だったからです。世界中どこを探しても産出量があまりに少ないため高価に過ぎ、裕福な貴族といえどジュエリーもおいそれと新規に作ることは簡単ではなく、既にあったものを溶かして作り直すことも珍しくありませんでした。それが後にオーストラリアやニュージーランドと続いたゴールドラッシュによってわずか10年ほどの間に18世紀の産出量の100倍にまで達し、その最初のきっかけとなったのがカリフォルニアだったからです。

パナマ運河はおろか大陸横断鉄道さえもまだなかった時代(大陸横断鉄道が開通したのは1869年でカリフォルニアでのゴールドラッシュは既に終焉を迎えていました)。アメリカ西部の僻地中の僻地であるカリフォルニアはあまりに遠く、駅馬車が整備されるようになってからもどんなに急いでも東海岸のニューヨークからは片道半月以上の日数がかかりました。陸路では一度に運搬できる量に限りがありますし、こうした問題から個人レベルから大規模な商業レベルに移行し、アメリカ国内の消費にとどまらずヨーロッパへと入ってくるまでには必然的にタイムラグがありました。発見された1848年で直ぐにとはいかなかったのです。

それでもゴールドラッシュのおかげで19世紀の半ばになると臆することなく金をふんだんに、心おきなくジュエリーに使うことができるようになりました。偶然の発見から始まったゴールドラッシュ。もしも見つからなければ、あるいはそもそもカリフォルニアに金が存在していなかったなら今に残るアンティークジュエリーの作品数はもっとずっと数が少なかったことでしょう。

金を使ったジュエリーは現代品でも手に入れることができます。でも、そこには「今」しかありません。本当に手にいれるべきものは今に至るまでの100年を超える「歴史あるもの」です。受継いでいただきたい。選ばれしあなたへ。

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成人式といえば [アンティーク]

僕の時代は毎年1月15日でした

もう何年も前の話です

でも実は成人式には出席しなかったので、

どういうものなのか未だによく分かりません

人生の中でも一度きりのことですし、

出席しておけばよかったかなと今はちょっと後悔しています

二十歳の頃・・・

夢ややりたいこと、なりたいこと、したい仕事

目標も目的も具体的なことはもちろんおぼろげにさえありませんでした

あの頃の自分が今の僕を見たなら・・・

きっといろんなことにびっくりしていると思います

“驚愕”と言っていいくらいに・・・

若い頃、夢がなかったせいでしょうか?

今こそ僕は、夢をもっています

夢だけでは生きていけませんが

現実だけでもまた生きていくことはできないのです

人は誰しも生きていくために答えを探し求めている

アンティークジュエリー

僕の心が求めていた答え

一人でも多くの人に伝えたい、気付いてもらいたい

あなたが探していた答えがアンティークジュエリーにあることを

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人の心は [アンティーク]

人の心は移ろいやすきもの

小野小町もうたっています

色見えで 移ろふものは 世の中の
人の心の 花にぞありける

(花が枯れる時は色の変わり様で分かるけど、
世の人の心の移ろいは目に見えては分からないもの)

古今東西、男性女性問わず同じ思いを感じていたのでしょうね

なればこそ心結びあいたいと願うもの

どうかそれが・・・一方通行になりませんように

いつまでも“お互いが”でありますように

その願い、銀のリボンに託して

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念願の [アンティーク]

シグネットリングをついに手に入れました!

しかもフリーメイソンのリングです!

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できることならフリーメイソンのリングがいいなと思っていましたが、

たいていサイズが合わず(お直しも難しく)

デザインもなかなか気に入った作品が見つからずで

(シンプル過ぎるか凝り過ぎているかどちらか両極端だと感じていました)

ようやく手に入れましたのがこちらのリングです

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輪の上に盾を載せたといった単純なつくりではなく

別々に制作したうえで後付けではなくひとつの指輪として作られています

また盾と輪で金の色味を変える拘りようで実作品は盾の部分がもっと明るいです

指輪全体に植物をモチーフにした装飾が施されているところもお気に入り

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サイズが若干大きいのでもうひとつ個人用にもっております、

1852年の22金の結婚指輪と贅沢に組み合わせてみようかとも考えています

念願かなってついに手に入れた自分だけの指輪

本当にうれしくてうれしくてとても幸せです

こちらは私物となりますが、

今手元にあります他の指輪の作品が誰かに受継いでいただける時、

その方に今の僕のように幸せを感じていただけましたら・・・

こんなにうれしいことはございません

イギリス(バーミンガム)、1915年

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